ここ数日柳田法相の「発言」が取りざたされている記事が多かったですが、本日朝のニュースで、辞表提出との顛末になったようです。柳田"元"法相スキャンダルの発端になったのが、「わからなかったら、『個別の事案については答えを差し控える』『法と証拠に基づいて適切にやっている』とのフレーズさえ言えばいい」という発言でした。
しかし、ここのところ、失言で失敗する政治家が多すぎませんか。やはり、政治家としての驕り(おごり)がこういった失言を産んでいるのだと思います。自分は何を言っても許されるという安心感と、あとは、自分の発言が周りにどういう影響を及ぼすのかということまで考える責任感の欠如ではないかと思います。
おそらく失言をした政治家は、自分の言葉がこのような結末をうむとは思わなかったのでしょうね。
それにしても言葉は恐ろしいものです。このごろ思うのですが、言われた言葉を額面どおりに受け取るくせがある人は大変多いのじゃないでしょうか。
これは、だからといって、言われた言葉をいちいち疑えといっていることではありません。状況判断をする、または他人のことを判断しなければならない局面において、1人の人のいっていることだけを鵜呑みにすべきではないということです。
実はよく起こっていることですが、ある人が、「自分の上司は、いいかげんで、自分はだから仕事にならないんだ」と他部署にいる同僚に話したとします。すると、大抵の人は、「あの上司ってそうなんだ」と思ってしまうわけです。でも、その上司の描写は、それをあなたに話した人のフィルターがかかっており、真実は別のところにあるのかもしれないわけです。しかし、それを気づかないあなたは、「あの人って、いいかげんなんだってね」と今度はあなたの部署の同僚に話をしていく。つまり、怖いのは、真実はどこかに置き去りになり、言葉で作られたイメージが独り歩きしていくことが組織では多々あることです。
言葉を発する側も、言葉を受け取る側も、組織への影響力を考えながら、「言葉」をもっと大事に使っていくべきでしょう。