国際外交の公電をリークしたウィキリークスについて、日本では国際社会で話題になった当日の夕刊から紙面をにぎわせているわけですが、本日、そのファウンダーが国際的に指名手配になったという記事がでていました。
どうやらスウェーデンで不純交際をしたことが原因ということですが、まさに国際的陰謀のにおいが感じられます。
そもそもファウンダーはオーストラリア人で、米国の治外法権にあるということが
事実としてあり、米国政府のこれをやめさせる必死さが見れるのではありませすが。。
米国政府の、外交における情報の操作についての意見はさておいても、
この一見の話を考えるに、やはり情報というものにはその内容において
開示すべきレベルがあると思います。
今回は、国家的レベルのセキュリティに影響を及ぼすものであり、
やはり、そのレベルの内容の情報は、善悪如何にかかわらず
開示レベルは限られるべきではないかと思います。
低レベルではありますが、なぞらえる例としては、
子どもに対して、親がやっていることの全てを開示しないわけです。
そんな親はいません。それは子どもが親のやっている全てを
理解できないからであり、開示することによって、子どもの理解力レベルでは
子どもが間違って認識をいただいていしまう危険性があるからです。
そうすると子どもの成長の妨げにもなる。
ただ、子どもはこの意見には絶対に賛同しない。
情報は力であり、その情報の使い方によって時代を制する、ということに
なってきたことを実感します。