本日夕刊で、橋下大阪知事との写真を辞退した定年退職の職員が半数以上だったという記事をよみました。知事も府庁や県庁という大きな組織の長ですから、マネジメントのトップとしては企業の社長と同じ位置づけです。その視点から見ると、定年退職の職員が知事と最後に写真をとるのにまで自己負担させるという決定は、経営に人の心ありというところを忘れていたのではと思わせるケースだです。
知事自身が提案したことではないかもしれませんが、私なぞは、それならばいっそ知事と写真をとる儀式をやめたほうが人の心を逆なですることもなかったろうにと思わざるを得ません。
やはりマネジメントは、他の人の力を使って目的を成すことです。個人の力でやるのは職人技。組織として動けるか否かは、マネジメントのレベルにかかっています。その意味でも、マネジメント側の「品格」ってとても大切なのではないでしょうか。
同じ大阪のトップ管理職としての豊臣秀吉は、天下人になるまではある意味で、人間遣いとしてのトップの品格はあったのでしょう。ただ、地位、名誉、金をすべて手に入れると、品格がなくなり、まわりの信頼も落としていったと考えられます。
社長の品格とは、「他の人間への尊敬の念」つまり、「人を人として見ること」を忘れない良識ではないかと思う訳です。でも、人間って、社長っていう地位や役員っていう地位、部長っていう地位など、地位がついただけで何か自分が偉くなった錯覚をしてしまうものです。恐ろしいものも、また、人間です。